おのぼり物語 カラスヤサトシ 2024.08.21 漫画家1本で生きいこう!一念発起して会社をやめたはいいけれど、連載するはずだった雑誌は休刊。勢いで東京に出てはみたが……。 レビューを見る 購入・お申し込みはこちら
アフタヌーンで4コマを見たとき、あまりの絵のクオリティと内容に、これで食っていけるのかと他人ごとながら心配してしまったのだが、なんか順調に仕事も増えて単行本も何冊も出て、世の中分からんもんだなーと思っている。
アフタヌーンで4コマを見たとき、あまりの絵のクオリティと内容に、これで食っていけるのかと他人ごとながら心配してしまったのだが、なんか順調に仕事も増えて単行本も何冊も出て、世の中分からんもんだなーと思っている。
おもろうてやがて悲しきとはこのことか。 おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。 こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。 作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。しばらく読み返せないだろうなあ。 このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
上京してプロの漫画家としての自立を目指す男性のお話。階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。 初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
上京してプロの漫画家としての自立を目指す男性のお話。階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。 初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
作者は漫画家である。本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。読んでいて大変面白い。東京デビューした時の初々しさが良く出ている。きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが) しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
30歳目前で大阪から、漫画家目指して上京したというのんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。 しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。 書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。 同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。 お花を送った編集者は、電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…だとしたら、無神経なことを言われても、耐えられる理由がわかった気がする。 『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。 『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。 前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、確かにそうだなと思います。 この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。 決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。 隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。 この夏、映画化されたそうです。ちょっと観たいかも。
漫画家を志し上京した著者の回想エッセイ四コマ。 周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。 尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
30歳目前で大阪から、漫画家目指して上京したというのんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。 しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。 書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。 同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。 お花を送った編集者は、電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…だとしたら、無神経なことを言われても、耐えられる理由がわかった気がする。 『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。 『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。 前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、確かにそうだなと思います。 この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。 決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。 隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。 この夏、映画化されたそうです。ちょっと観たいかも。
おもろうてやがて悲しきとはこのことか。 おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。 こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。 作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。しばらく読み返せないだろうなあ。 このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
セルフタイトルのエッセイ4コマ『カラスヤサトシ』で有名なカラスヤサトシの上京を描いた4コママンガ。上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。おそらく読者層も結構かぶっているだろう。だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。内側を向いているのだから。それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。そう、福満はリア充だったのである。なんと憎らしい。・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
漫画家を志し上京した著者の回想エッセイ四コマ。 周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。 尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
作者は漫画家である。本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。読んでいて大変面白い。東京デビューした時の初々しさが良く出ている。きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが) しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
セルフタイトルのエッセイ4コマ『カラスヤサトシ』で有名なカラスヤサトシの上京を描いた4コママンガ。上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。おそらく読者層も結構かぶっているだろう。だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。内側を向いているのだから。それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。そう、福満はリア充だったのである。なんと憎らしい。・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
作者は漫画家である。本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。読んでいて大変面白い。東京デビューした時の初々しさが良く出ている。きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが) しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
セルフタイトルのエッセイ4コマ『カラスヤサトシ』で有名なカラスヤサトシの上京を描いた4コママンガ。上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。おそらく読者層も結構かぶっているだろう。だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。内側を向いているのだから。それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。そう、福満はリア充だったのである。なんと憎らしい。・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
上京してプロの漫画家としての自立を目指す男性のお話。階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。 初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
30歳目前で大阪から、漫画家目指して上京したというのんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。 しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。 書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。 同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。 お花を送った編集者は、電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…だとしたら、無神経なことを言われても、耐えられる理由がわかった気がする。 『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。 『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。 前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、確かにそうだなと思います。 この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。 決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。 隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。 この夏、映画化されたそうです。ちょっと観たいかも。
アフタヌーンで4コマを見たとき、あまりの絵のクオリティと内容に、これで食っていけるのかと他人ごとながら心配してしまったのだが、なんか順調に仕事も増えて単行本も何冊も出て、世の中分からんもんだなーと思っている。
漫画家を志し上京した著者の回想エッセイ四コマ。 周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。 尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
漫画家を志し上京した著者の回想エッセイ四コマ。 周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。 尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
セルフタイトルのエッセイ4コマ『カラスヤサトシ』で有名なカラスヤサトシの上京を描いた4コママンガ。上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。おそらく読者層も結構かぶっているだろう。だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。内側を向いているのだから。それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。そう、福満はリア充だったのである。なんと憎らしい。・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
おもろうてやがて悲しきとはこのことか。 おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。 こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。 作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。しばらく読み返せないだろうなあ。 このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
おもろうてやがて悲しきとはこのことか。 おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。 こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。 作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。しばらく読み返せないだろうなあ。 このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
コメント
おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。
こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。
作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。
しばらく読み返せないだろうなあ。
このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。
この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
同じジャンルですね。
福満さん(76年生まれ)、
トリバタケさん(75年生まれ)ですか。
階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。
初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。
初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
きっかけは井上芳雄主演の映画。
すぐそばにあるような、日常が描かれていて、
力を抜きたいときなんかにふと読みたくなる。
本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。
読んでいて大変面白い。
東京デビューした時の初々しさが良く出ている。
きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。
(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが)
しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。
他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。
作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
同じジャンルですね。
福満さん(76年生まれ)、
トリバタケさん(75年生まれ)ですか。
のんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。
しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、
いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。
書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。
同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。
お花を送った編集者は、
電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、
『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…
だとしたら、無神経なことを言われても、
耐えられる理由がわかった気がする。
『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、
こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。
『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。
前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、
確かにそうだなと思います。
この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。
決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。
隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。
この夏、映画化されたそうです。
ちょっと観たいかも。
周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。
一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。
尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
のんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。
しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、
いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。
書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。
同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。
お花を送った編集者は、
電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、
『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…
だとしたら、無神経なことを言われても、
耐えられる理由がわかった気がする。
『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、
こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。
『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。
前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、
確かにそうだなと思います。
この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。
決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。
隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。
この夏、映画化されたそうです。
ちょっと観たいかも。
後半で号泣。
これ以上何も言わない!
読むといい。
おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。
こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。
作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。
しばらく読み返せないだろうなあ。
このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。
この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。
カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。
そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。
なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。
そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。
そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。
おそらく読者層も結構かぶっているだろう。
だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。
このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。
カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。
内側を向いているのだから。
それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。
そう、福満はリア充だったのである。
なんと憎らしい。
・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。
一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。
尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
同じジャンルですね。
福満さん(76年生まれ)、
トリバタケさん(75年生まれ)ですか。
後半で号泣。
これ以上何も言わない!
読むといい。
本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。
読んでいて大変面白い。
東京デビューした時の初々しさが良く出ている。
きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。
(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが)
しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。
他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。
作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
きっかけは井上芳雄主演の映画。
すぐそばにあるような、日常が描かれていて、
力を抜きたいときなんかにふと読みたくなる。
上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。
カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。
そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。
なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。
そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。
そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。
おそらく読者層も結構かぶっているだろう。
だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。
このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。
カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。
内側を向いているのだから。
それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。
そう、福満はリア充だったのである。
なんと憎らしい。
・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
本書は29歳を目前にして上京した漫画家志望の青年の物語(自伝的マンガ)である。
読んでいて大変面白い。
東京デビューした時の初々しさが良く出ている。
きっと大学生も気分的にはこんな感じなんでしょう。
(私は生まれも育ちも信州人なので実感としてはわかりませんが)
しかし作者28歳にしては余りにも無計画です。
他人事ながら本が出せるようになって本当に良かったと思います。
作者の日記的四コママンガは結構好きなので今後も活躍して欲しいと思います。
上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。
カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。
そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。
なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。
そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。
そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。
おそらく読者層も結構かぶっているだろう。
だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。
このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。
カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。
内側を向いているのだから。
それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。
そう、福満はリア充だったのである。
なんと憎らしい。
・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
階段の踊り場を歩き続けるような、フワフワした閉塞感が丁寧に描かれています。
初期の『カラスヤサトシ』の、ギャグだけにはならない部分を昇華させたアナザーストーリーみたいな作品としても楽しめます。
のんきそうでいながら骨のある漫画家の上京物語。
しみじみとしたおかしみと哀しみがあって、
いろんな感情を思い出させるようなエッセイ漫画だった。
書き下ろしの東京の風景も、つぼをつかれる感じ。
同郷のNさんとのストーリーの中途半端さもリアルで、それが切なさを増しました。
お花を送った編集者は、
電話で「これから忙しくなりますよ」と言った編集者は、
『カラスヤサトシ』では悪く描かれてるT田さんなのかな…
だとしたら、無神経なことを言われても、
耐えられる理由がわかった気がする。
『カラスヤサトシ』では明るくてテキトーなお母さんとお姉さんだから、
こちらでのしんみりした感じがなんだかよけいにぐっときた。
『カラスヤサトシ』を先に読んでると、よりいいかもしれない。
前のレビュアーさんが「傑作になり得た」と書いてたけど、
確かにそうだなと思います。
この1冊で家族のキャラなどがわかったらよかったのかも。
決してお涙ちょうだいにはしたくなかったのだとは思いますが。
隠しきれない暗さに腹をくくったのが、途中からだったのでしょうね。
この夏、映画化されたそうです。
ちょっと観たいかも。
後半で号泣。
これ以上何も言わない!
読むといい。
周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。
一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。
尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
周囲を出し抜くことも他者と協調することも出来ないほどに気が弱く、優しく、駄目な男の姿が、「笑い」というよりも「小さなおかしみ」みたいなものを忍ばせて淡々と叙情的に描かれてゆく。
一貫した自分自身を見つめるリアリスティックな視線が印象的。
尾崎放哉の自由律俳句のようなユーモア交じりの自虐的な物悲しさが胸に迫る。
上京という言葉から、望郷の念と夢を掴む野心の相克とかそういったものが描かれると思ったら大間違いである。
カラスヤサトシは、退職してマンガもろくに描かない生活を続けるうちに、なんとなく東京の方がマンガを描きやすいのではないかと思い、特に動機も意志もなく上京を果たすのである。
そしてこのマンガでは、上京して出会った都会の冷たさだとか、触れる人情の温もりだとか、転機を迎える出会いだとか、そういったものも一切描かれない。
なぜなら仕事もアルバイトもせず、怠惰にマンガを描き、夜になると一人酒を飲みながら寝るという、ほとんど引きこもり同然に人間と交流しない生活を続けているからだ。
そんな波風のないものを描いいるだけでも面白いのは、そういうほとんど非人間的とも言える日常を、彼固有のユーモラス(死語か?)な視点ゆえだ。
そういった点で福満しげゆきとある種似た空気を感じる。
おそらく読者層も結構かぶっているだろう。
だが両者で決定的に違うのは、福満のメインテーマとも言えるコミュニケーション不全から来る悩みは、この作品にはほとんどない点だ。
このカラスヤサトシのマンガを読んでいて、福満は卑屈ではあるがああ見えて実はすごく外向きな人間だったことに気づかされた。
カラスヤの世界には人間関係の齟齬なんてものはないのだ。
内側を向いているのだから。
それが一番顕著に表れているのは、カラスヤサトシが齢30を過ぎていまだ独身であり、彼女さえいないのに対し、福満は美人の妻を持っているところだろう。
そう、福満はリア充だったのである。
なんと憎らしい。
・・・まあというわけで、我々のような非リアにとっての本当の意味でのバイブルは『僕の小規模な生活』では断じてなくて、カラスヤサトシの『おのぼり物語』なのだ。
おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。
こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。
作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。
しばらく読み返せないだろうなあ。
このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。
この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。
後半で号泣。
これ以上何も言わない!
読むといい。
きっかけは井上芳雄主演の映画。
すぐそばにあるような、日常が描かれていて、
力を抜きたいときなんかにふと読みたくなる。
おなじみくだらない(いい意味)精神生活を送っているカラスヤ節の上京物語かと思えば、連載が進むにつれてカラスヤ先生なりの苦悩と孤独、別れの物語に発展していってどうしよう。
こういう話に朴訥な絵柄がまた合っていて、しばしば入るカラスヤ流ネタも人間シリアスな時でもヘンなこと考えて笑っちゃうことあるよね的リアリティを出す小道具に変換されてしまう。
作者の新境地を高いクオリティでみせたまさしく快作だが、気楽に読める話でもない。
しばらく読み返せないだろうなあ。
このカラスヤ新境地を描かせた桐くん(編集者)、ただの方向音痴で折り紙が絶望的に下手な男ではないようだ。
この組み合わせから今度は何が生まれるのか、楽しみなような心配なような。